エネルギーの源は創業時からのビジョンにあり。
Pizza4P’s益子夫妻が語った、涙と笑いの10年
ベトナム在住の日本人ならみんな知っているピザレストランPizza4P’s。同社が、今年10周年を迎えました。経営者の益子陽介氏と早苗氏夫妻は、日本のIT企業出身で飲食業経験はゼロという状態からスタートし、Pizza4P’sの店舗数拡大などを成し遂げました。地を這うようにして成功へとたどり着いたというお二人が、傷だらけの10年を振り返ります!
ライター:櫻井よしい、聞き手:ミヨシ
Pizza 4P’s
2011年、ベトナム・ホーチミン市のレタントンで創業した人気のピザレストラン。ホーチミン市ほか、ハノイ、ダナン、ニャチャン、ハイフォンなどに出店を続け、現在、22店舗にまで店舗数を拡大。デリバリーサービスなども展開中。foody.VNの口コミ評価1位、ベトナムの外食業界最高の賞である、Vietnam Restaurant & Bar Awards 2020で、“Restaurant of the year” と“Social Responsibility(社会的責任賞)”の2部門を獲得したほか、アジアのベストレストラン50リストである、“Asia’s 50 Best”の “Essence of Asia“にも選ばれている。The New York Timesや、Forbesなどで紹介されたことも。2021年には開業10周年を迎え、開業当時からのビジョンである「Make the World Smile for Peace」の実現のため、「Delivering Wow, Sharing Happiness」を使命とし、さらなる発展を目指している。
益子 陽介 氏
Pizza4P’s Founder&CEO 大学卒業後、商社を経て、サイバーエージェントに入社。ベトナム投資事業部を立ち上げ、インターネットサービス企業の投資に携わる。2010年に退社し、飲食店勤務の経験なしで、2011年にホーチミン市でピザレストラン、Pizza 4P’sをオープン。開店後すぐにTripAdvisorホーチミン市レストランランキング1位を獲得する。Pizza 4P’s を人気店に育て上げ、店舗数を拡大。2014年には、AERA誌の「アジアで活躍する日本人100人」に選ばれた。ベトナム国内だけでの事業展開にとどまらず、世界展開を見据えて活動中。プライベートでは、二児の父でもある。
Pizza4P’s Founder&CEO 大学卒業後、商社を経て、サイバーエージェントに入社。ベトナム投資事業部を立ち上げ、インターネットサービス企業の投資に携わる。2010年に退社し、飲食店勤務の経験なしで、2011年にホーチミン市でピザレストラン、Pizza 4P’sをオープン。開店後すぐにTripAdvisorホーチミン市レストランランキング1位を獲得する。Pizza 4P’s を人気店に育て上げ、店舗数を拡大。2014年には、AERA誌の「アジアで活躍する日本人100人」に選ばれた。ベトナム国内だけでの事業展開にとどまらず、世界展開を見据えて活動中。プライベートでは、二児の父でもある。
益子 早苗 氏
Pizza4P’s CPO (Chief Peace Officer) 慶応義塾大学法学部卒業後、サイバーエージェントに入社。社内で陽介氏と出会い、結婚。陽介氏の起業計画実行のため、ベトナムに移住。陽介氏とともに、Pizza4P’sを創業。人事、スタッフ育成、新規出店計画などを担当、同社を大きく成長させる。Pizza4P’sのロゴは、先祖である高杉晋作の家紋、「丸に武田菱」から着想を得たもの。プライベートでは、二児の母でもある。
Pizza4P’s CPO (Chief Peace Officer) 慶応義塾大学法学部卒業後、サイバーエージェントに入社。社内で陽介氏と出会い、結婚。陽介氏の起業計画実行のため、ベトナムに移住。陽介氏とともに、Pizza4P’sを創業。人事、スタッフ育成、新規出店計画などを担当、同社を大きく成長させる。Pizza4P’sのロゴは、先祖である高杉晋作の家紋、「丸に武田菱」から着想を得たもの。プライベートでは、二児の母でもある。
休みなし!自宅にたどり着けず、階段で寝たりしていました

10周年おめでとうございます。もともと、お二人とも日系のIT企業・サイバーエージェントにお勤めで、飲食業のご経験がまったくない状態から、ベトナムでピザレストランを開業されたということですが、日系のIT企業と、ベトナムの飲食業、大きな違いとしてどのようなことがありましたか?

あっという間という表現が、本当にぴったりの10年でした。しんどいですね。ずっとほふく前進を必死でやってきて、ケガばっかりって感じです。もともとIT企業に勤めていたころも、会社に泊まって徹夜とかしていました。が、ベトナムに来てからはそのときのプレッシャーとは違う、泥臭い大変さがありますね。逆に、泥臭い喜びもありますけど。お客さんがいて、「ありがとう!」と目の前で言って、拍手までしてくださったりすると、昔の(IT企業での)仕事にはなかった達成感がありますね。

(開業当時は)階段で寝てしまうこともあって。1階と2階にレストランがあって、4階に家があって、そこに住んでいたんですけど、夜中12時に仕事が終わって、部屋まで上がれず階段で寝ていました。

古い建物に螺旋階段があって、その建物の最上階にみんなで住んでいたんですけど、その部屋までたどり着けなくて制服着たまま寝てしまうってことがありましたね。夜中の3時か4時に「ハッ」と起きて(笑)。


気合の入り方が違いますね。

(Pizza 4P’sのオープン時から)10年間、ずっとそんな感じです。

最初は、休みなし週7日営業。妻が店長だったので、「(早苗さんは)いつも店にいるべき!」みたいな感じがスタッフみんなの中にあったから、外出とかもなかなかできなくて。(店舗の入っている建物の)4階に住んでいるから、(店を)通らないと外へ行けないんですね。1、2回休みを取ったときは、カバンの中に私服を入れて、制服を着て出て行って、外のトイレで着替えるみたいな。高校生じゃん(笑)。

そんなに悪いことはしていないのに(笑)。当時は、休みなくずっと働いていました。とはいえ、休みを取ろうということになって取り始めたんですけど、いつも店にいることが普通だったから、たまにワンピースとか着て出かけようとすると、社員に「フーッ!」とか言われたり、「どこ行くの?」とか聞かれたりして。後ろめたかった(笑)。


この10年で、いろいろな事業に挑戦されていると思いますが、失敗してしまったものについて教えてください。

数えてみるといっぱいあって。牛を15頭くらい飼っていたんですけど、ビジネスとして成り立つくらいの規模にすることはすごく難しくて、結局手放したことがあります。

食品の宅配事業をやったり、Pizza 4P’sの1つ下のレンジのカジュアルレストランをやったり、ホテル朝食の運営もやっていました。もう、なくなりましたけど。

(失敗には)それぞれ理由があって、一言でまとめるのは難しい。見切り発車的にアイデアベースでやってみたら、例えば、マーケットだったりコストだったり、細かいところで制約があったり、あとは、会社としての選択と集中みたいなことで、ちゃんとリソースを割く体制が整えられないまま発車してしまったり。実際にやってみるとそこまで簡単ではなかったとか、ありますね。

あとは、価格がマーケットに合わなかったのかなということは多いです。Pizza 4P’sの場合は、現地のピザチェーン店をベンチマークにして、そこのマルゲリータのピザが11~12万ドンのところを、20%くらい高くしました。よそのイタリアンレストランなら20万ドンくらいのピザを、お洒落な雰囲気の空間で、Pizza 4P’sなら15万ドンで食べられるというのを狙いました。

飲食のバックグラウンドがないまま(お店を)始めた二人なので、「自分たちなら、これくらいの価格のお店だったら、喜んで行くよね」という感覚は大切にしていますね。ちょっとお得感のある価格設定。

Pizza 4P’sのミッションにも“Delivering Wow”というのがあって、お客様の期待を超える商品を出したいと思っています。
なんか浮気されたみたいな気持ちになったんですよ

ベトナムと日本との違いを感じたことって、何かありましたか?

ベトナムに来たばかりのときは、子どもが生まれて6ヶ月くらい。最初にスーパーに行ったんですよ。そうしたら、(ベトナム人の)おばちゃんが、「(子どもを)預かっておくから、買い物してきたら」って。買い物して10分後くらいに戻ってきたら、おばちゃんが自分のおっぱいあげていたんですよ(笑)。

やっぱりIT企業の人とは違うなぁ~って。

だいぶ違うと思います(笑)

そのとき、彼女はすごく泣いていました。

なんか浮気されたみたいな気持ちになったんですよ。娘をずっと完全母乳で育ててきていたので。「私以外の人の……!!」みたいな、すごいショックを受けて。しかも、娘は、満足気な顔をしていたのでさらにショックでした。


娘さんの順応性の高さがすごいですね(笑)

順応性高く、たくましく育っていますよ。いまでは私の代わりに下の子のお弁当を作ってくれています。

お子さんのお話が出たところで、お二人の関係は、IT企業の社員同士だったころと比べて、Pizza 4P’sを始めてからはどのように変化しましたか?

昔は、僕の方が5歳年上ということもあって、良い感じだったんですけども。どんどん、あの、非常にマネジメントに苦労しています(笑)。


もともと(陽介さんが)先輩だったので。今は衝突することもありますが、驚くほど一緒にいます。仕事でもプライベートでも。だから、コミュニケーションの質と量はすごくあるので、その中でいろいろなことを解決している感じではあります。会社員時代は、もっと気楽だったし、チヤホヤしてもらっていたと思うんですよ。そういうのは、今はなくなったけれど、お互いへの信頼や仕事への責任があるし、よりパートナーとしての絆は強くなっている感じがします。

会社員時代は、お互いにどのような印象をお持ちだったんですか?

私は、新卒で入ったんです。サイバーエージェントは、わりと、チャラチャラして見えるけれど、仕事も遊びもバランスが取れている人が多くて。その中で(陽介氏は)、ロハスとか呼ばれて、当時はベジタリアンで、ツーブロックでカブトムシみたいな髪型をして「なんか、あの人、変わっているよね~」みたいな。けれど、「めちゃくちゃ売ってるね」という、異色な人という印象でした。

ロ、ロハスで、カブトムシ・・・

少なくとも尊敬ではないですね(笑)。

私は新人で、彼は金融系の案件をたくさん持っていて。メンターみたいな感じで付いてもらっていたから、仕事の面では尊敬していました。得体は知れなかったんですけど(笑)。

陽介さんから見ると、早苗さんはどんな感じの新人さんだったんですか?

サイバーエージェントのキラキラ女子って感じです。

金曜日の夜は合コン、みたいな感じのイメージの。

物理的にまぶしかったのかな(笑)。
初めてのベトナム旅行でカキにあたって、ヘナヘナの状態でプロポーズしました

そこから、すぐにベトナムへ行かれたんですか?

そうですね、わりとすぐに。ベトナム行きが決まったとき、僕、ベトナム行ったことなくて。付き合って半年くらい、彼女は当時24歳かな。3泊4日の旅行に来たんですけど。そのとき、僕はカキにあたって、ホテルでずっと寝込んでいました。

それはきつかったですね。

帰りもヘナヘナで。これはもうダメだと思って、帰りの飛行機でプロポーズしました(笑)。


早苗さんは大丈夫だったんですか?

私は大丈夫だったんです。彼だけカキにあたって。どこに薬局があるかも分からない状態で、薬を探しに行き、私はビールを買って外で一杯やってから看病したりしていました。

交際期間中は、喧嘩することはなかったんですか?

驚くほど喧嘩しなかったと思います。

初めて怒ったのが、創業準備中に早苗さんがベッターさんの記事を書いていたときです。


(な、なんか、すみません・・・!)

もともと文章を書くことが好きだったので、ベッターさんの記事を書く仕事を頑張っていたら「こんな大変なときなのに!」って。

ちょうどオープン前だったんですよ。

「ほかの会社に割くリソースあったら、こっちに集中して!」と。一緒にやろうみたいなことは1度も言われたことがなくて。サポートぐらいの気持ちでいたら、突然「きみ、店長だから」とか言われて。

ちょうど10年前ですね(しみじみ)。
インド、中国、アメリカ。大きなマーケットで勝負したい。

今後の展開はどのように計画されていますか?

カンボジアで今年7月からお店を始める予定です。レストランとしての勝負は、インド、中国やアメリカのような大きなマーケットだと考えているんですよ。新型コロナが収束したら、僕たちがインドに移住してお店を展開することなんかも考えています。

お二人のそのエネルギーはどこから湧いてくるんですか?

いつでも立ち返ることのできる、ビジョンがあるのが大きいと思います。僕らが創業当時からやりたいことは、人の幸せにコミットするということ。4P’sの由来でもある「インナーピース」について、10年目にしてようやく社内でいろいろな取組みをはじめられるようになってきました。

10年目を迎えても、初心を忘れずに頑張ります。みなさまに、ありがとうという気持ちでいっぱいです。私たちのビジョンを社内で伝えつつ、社外にも広げていきたい。いろいろとできていないこともあるので、お客様には申し訳ない気持ちがありますが、何かあれば率直なメッセージをいただけるとありがたいです。

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